アーツ×アーツ

本好きでマンガ好きのジョン・スミスが書く、名著礼賛ブログです。

カテゴリ: 短編


僕はもう子供ではない、という考えが啓示のように僕を満たした。
-飼育(大江健三郎)





読了目安:1時間30分




どうも!



大江健三郎大先生の著作をついに読みました。

図書館でパラパラとめくったことは過去にあったんですけども、その時は僕の感性が作品に追いつかず、どうにもよくわからなかったことを覚えています。二十一歳の頃でした。


本作『飼育』は芥川賞受賞作品でありますが、作品以上に著者自身が有名ですね。日本人では二人しかいないノーベル文学賞の受賞者(川端康成・大江健三郎)で、2017年現在、御年82歳になる日本が誇る世界レベルの大作家です。


『飼育』は短編作品でありますので、文庫本には他にもいくつかの作品が同時収録されておりました。
併せて読んだんですけど、うっすらと作品の味わいは似たようなものでした。
舞台は現実世界なんだけど、主人公の人間味が足りないというか、世界を観る目が人と異なるというか、作品全体に諦観や厭世や無力感の匂いがするというか、そんな雰囲気を感じました。


『死者の奢り・飼育』作品紹介
屍体処理室の水槽に浮き沈みする死骸群に託した屈折ある抒情「死者の奢り」、療養所の厚い壁に閉じこめられた脊椎カリエスの少年たちの哀歌「他人の足」、黒人兵と寒村の子供たちとの無残な悲劇「飼育」、バスの車中で発生した外国兵の愚行を傍観してしまう屈辱の味を描く「人間の羊」など6編を収める。学生時代に文壇にデビューしたノーベル賞作家の輝かしい芥川賞受賞作品集。


今回は芥川賞受賞作の『飼育』のみについて書いていきます。


平たく言えば、『飼育』は「子供が大人になる話」です。


『飼育』の舞台は明確にされていませんが、時代はほぼ間違いなく大戦中の日本であり、場所は世間から隔絶された山奥です。

映画化された際には1945年の初夏、とある山村が舞台とされたようです。


話の筋は簡単です。

「僕」が暮らす山奥の村に
→戦闘機が墜落し、
→それに乗っていた黒人兵士が大人たちに捕らえられ、
→「僕」や他の子どもたちはその黒人兵士を世話しながら、
→黒人兵士との奇妙な交流を持つ。



黒人兵士が異物として村に紛れ込んだことによる大人の緊張感と、事の重大さを何も理解できずに黒人兵士が現れるという非日常的イベントに心を躍らせる子供たちの姿の対比が、この作品の肝となっております。


物事を深く考えることのできない子供たちは、最初は恐れ恐れ世話していた黒人兵士と、徐々に距離感を縮めていきます。黒人兵士に対する観察眼や洞察もズレまくり。


作品終盤、黒人兵士は主人公の「僕」を捕虜として村からの脱走を図ります。そしてその時初めて、黒人兵士は友達ではなく敵であり、自分とは関係のないと思っていた戦争やそれによる危険とはこういうものかと知るわけです。


黒人兵士は村の大人たちに惨殺されますが、その時同時に「僕」の指も弾き飛ばされます。
その指の痛みは「僕」を覚醒させ、以降、「僕」は子供ではなく大人の精神性を備えるに至ります。


併せて収録されていた他の作品においても、大人になる手前の子供たち、大人になる環境や思考力を奪われた子供たち、大人にならざるを得ない子供たちなど、非常に中途半端で生々しい存在が描かれています。



大江健三郎の作品の根底には、「子供な人々への憐憫」があるのかもしれないなんて考えて、狡い子供の一面をいつまでも捨てきれない僕は、なんだか胸が締め付けられる思いがするわけです。



ではまた!



俺とあいつはあの日あの時刻からきっちり二十年後にもう一度会おうと約束した。その時にお互いがどんな立場に立っていようと、どんなに遠く離れていようと必ずまた会おうと。
-ヘンリー『二十年後』




読了時間:約五分


どうも!

今回紹介する『二十年後』は、短編の名手であるヘンリーが書いた著名な短編です。


見事なオチがついて読みやすく、物語のお手本のような構成となってます。
世の中の劇作家の方々が参考にしてそうなイメージです。

ありがちなテーマですが、見事なオチと相まって、決して古さを感じません。

もちろん中身も面白く、ラストの数行を読んで、「やられた!」と思わず膝を打ちました。


長編にしようと思えばきっとできるであろう話の内容なのですが、短くなっております事で、密度が高く、気楽に物語の味を楽しめます。読書の入門にピッタリです。


『二十年後』あらすじ
警官が街を巡回していると、金物屋の戸口に葉巻をくわえた男がもたれかかっていた。警官を見た男は慌てて、自分がここに立つ理由をこのように説明した。「自分は二十年前に親友と、この場所この時刻で再開の約束をして、その約束を果たすためにここで待っているのだ。」


オチにまで触れてしまったら台無しなので、このあらすじは起承転結の「承」までしか書いておりません。
結末はぜひ、手に取ってお楽しみください。


日本では星新一氏がショートショートの巨匠として有名ですが、ヘンリーも同様に、短編の達人として有名です。簡単で分かりやすく、皮肉なオチがつくあたり、共通点が多い気がします。

『二十年後』も、小学生程度の日本語知識があれば十分楽しく読めますし、大人であれば皮肉なオチも楽しめます。


簡単な文章・物語だからこそ、読む人によって味わいが変わる。

読書談議が盛り上がる理由も、この味わいの違いによるものなのかもしれませんね。

僕も普段の生活では共通の作品について話ができる相手がいないから、このブログをに思いの丈を書き始めた。といった経緯があります。ぜひ、このブログをコミュニケーションのきっかけとして、ブログ読者の方と本の話がしたいですね。


ではまた!



あらゆる称賛、あらゆる栄誉を一身に担うというて、それほど女の浅薄な心を満足させるものがまたとあろうか。
-モーパッサン『首飾り』





どうも!

モーパッサンの中でも有名な話の一つが、今回書きます『首飾り』です。

ショートストーリーで見事なオチがつくという点が特徴的で、星新一のショートショートと同じ雰囲気が作品から漂います。

前回紹介した別作品の『ある自殺者の手記』や『狂人日記』と同様、人間の業をテーマにしたかのような内容となっております。上記の二作と異なる点は、主人公が狂わないという点です。ただ、狂ってはいないだけで、ある種の観念に憑りつかれており、精神状態は袋小路の悪循環に陥っております。

この悪循環な精神状態(しかも、自分を疑わないから決して治らない)が、自分をかえりみたときに心当たりがあるようなものだから、読んだら何だかゾッとするというわけです。


『首飾り』あらすじ
マティルド・ロワゼルは美しい女性であるが、文部省の小役人と結婚する。日頃から自分ほどの器量良しならどんな贅沢でも望めたのにと考えており、自分には手の届きそうにない上流階級の暮らしや優雅なお茶会、晩餐会を空想していた。また、彼女はドレスやネックレスといった類のものをもっておらず、そのくせ、自分はそれらを身に着けるために生まれてきたと考えるほど、そんなものばかりが好きであった。それほどまでに彼女は人にうらやまれたり、ちやほやされたかったのだ。
ある日、夫は彼女が喜ぶだろうと思い、苦労して大臣主催のパーティーの招待状を手に入れて帰ってくる。ところが、マティルドはパーティーに着ていく服がないと言いだし大粒の涙を流す。そこで夫は仕方なく、なけなしの400フランを妻のドレスを仕立てるために差し出すのであった。しかし、パーティの日が近づきドレスが仕立てあがっても彼女はふさぎ込んだままであった。夫が訳を尋ねると、今度は身に着ける装身具がひとつもないからだと言うのである。夫は友人のフォレスチエ夫人に借りに行くように提案する。
(Wikipedia)

Wikipediaから引用した上記のあらすじは、起承転結の「承」に当たる部分までです。
オチはぜひとも本書を取ってお楽しみ頂きたく思います。


なんと皮肉が効いた物語なのか、というのが読後の率直な感想でした。
物語の主人公であるロワゼルのように、「自分はもっと評価されるべき」といった思いを内に抱える人は数多い事かと思います。そんな人々はこの物語に触れるとどう思うでしょうか。

ロワゼルと自分を重ねて胸を痛める?
自分ならこんなことにならない。と笑いものにする?

いずれにせよ、簡単に割り切れない思いを抱えるのではないでしょうか。この物語に触れて何も感じない方は、きっととても幸福な方です。


自分の心のどこかに空疎な自信家であるロワゼルを見出した僕は、この物語を読んで背筋が寒くなるのでした。


ではまた!


知識発生の最初の兆候は、死に対する希求である。
-カフカ『罪・苦痛・希望・及び真実の道についての研究』




どうも!

『変身』で有名なカフカの別作品です。

読んでから知ったのですが、本作は思想書のような作品でした。

分かる部分もあればわからない部分もあり、果たしてカフカがどれだけ考察を深めていたのか、読めば読むほど想像が膨らみます。

気になった箇所をいくつか抜粋します。


「すべての、人間の過失は、性急といふ事だ」

「ある点から先へ進むと、もはや、後戻りといふことがないようになる。それこそ、到達されなければならない点なのだ。」

「悪魔の用いる最も有効な誘惑術の一つは争いへの挑戦である。」

「人間が、たとへば、一個の林檎について抱き得る観念の多様性。」



何かに挑戦したときから、カフカは、もう「戻れない」と言っております。
「挑戦」は悪魔の誘惑であり、女性との闘いに似ているからです。
僭越ながら、そのたとえはとてもしっくりと感じられました。

しかし一方、急ぎ過ぎること(性急)にも警鐘を鳴らしております。

「挑戦」に酔いしれながらも、酔いに任せて到達を急いではいけない。と、読むことができます。

「継続」について、発展の決定的な瞬間である、とも述べています。


「挑戦」に身を投じても、「性急」にならず、「継続」を意識する。


なんか、そういうことが苦手な私は、読んでいて怒られているかのような気持ちになります。
溜息をつきたい。


ではまた!


この子を殺してみたいという慾望が、アルコールのように私を酔わせた。
-モーパッサン『狂人日記』



どうも!

『狂人日記』、かなり目を引く表題ですね。

中国人作家の魯迅、ロシア人作家のゴーゴリも同名別作品を執筆しています。
しかし、内容の関連性は不明です。未読ですので…。
これから読んでみたいですね。


中身はかなり短くて、すぐ読めます。
紙の本で、10ページ程度です。
五分くらいあれば、読書慣れしていない方でも読めるのではないでしょうか。

狂人「日記」というだけあって、内容は、ある人物の死後、彼が書き続けた日記をひたすら読者が読み続けるという形式をとっております。

誰からも尊敬される法官で、惜しまれながら82歳でこの世を去った「ある人物」。
完璧に見えたその生涯には、狂ってしまったが故の、彼だけにしかわからない悲哀がありました。


『狂人日記』あらすじ
法曹界から多くの尊敬を集めた法官が亡くなった。
亡骸は、全国民の哀悼の中に埋葬された。
彼の死後、彼の事務机の中から公証人がある書き物を見つけたが、中には、驚くべき彼の裏面が記録されていた。

その生涯で多くの殺人犯を裁いた彼は、そのうちに「なぜ、人は人を殺すのか」と考え始めます。

その問いに出した結論は恐ろしく、そしておそらく間違ってます(少なくとも世間一般の常識とは違っています)。

最後、彼の日記は精神病専門の医者たちに読まれるのですが、その医者の反応がまた、「おいおい…」と思わされるものだから、なんだかちょっと、読後感がモヤモヤします。

外から見たらおよそ完璧な人物が、少しずつ壊れていく。という話は、同じくモーパッサンの短編『ある自殺者の手記』でも書かれております。日記形式で進むという意味でも同じなので、モーパッサンのテーマは「高次な人格と狂気は共存する」とか、その辺りにあるのかもしれない。とか考えてみたり。

他の作品をどんどん読んで行けば、そのうちテーマ性にも気付けるかもしれません。
おどろおどろしいので、読み解くのに少し辟易しそうではあるのですけども、そこも文学の面白さなんでしょうか。


ではまた!

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