アーツ×アーツ

本好きでマンガ好きのジョン・スミスが書く、名著礼賛ブログです。

カテゴリ: ロシア


とある大きな町に植物園があって、園内には、鉄骨とガラスづくりのとても大きな温室がありました。
-ガルシン『アッタレーア・プリンケプス』



どうも!


今回読んだのはガルシンの『アッタレーア・プリンケプス』です。
ロシア文学ですね。

タイトルは、温室で育つしゅろ(木の一種)の学名です。この物語は、そのしゅろが奮闘して、自由を勝ち取るまでの話です。ちゃんと彼女(しゅろは女性であることが示され、作中は、かなり女性っぽい口調で話します。)の心理描写もあるんですよ。

あらすじはこうです。


『アッタレーア・プリンケプス』あらすじ
温室で育てられた木々は、温室の中で満足な水も与えてもらえず、故郷の空を恋しくてたまらなく思っていた。
ガラスの天井に最も近いしゅろの木は特にその思いが強く、他の木々に「高く成長し、天井を突き破ろう。」と提案する。しかし誰もが提案に乗らず、叶わぬ夢だと言い張った。
貧しい水の量には不満をこぼすにもかかわらず現状を変える努力をしない木々と仲たがいし、しゅろは自分だけで天井を壊すために奮闘する。


仲間と違えても自分の夢に立ち向かうなんて、心を打つ話じゃないですか。

成功の保証は無く、決して簡単ではない挑戦です。
しかし、たった一人(人ではないけれど)、しなびた小さな草だけはしゅろの味方でした。
彼女(この草も女性です。)は、しゅろのサポーターとなり、しゅろの挑戦を見届けようとします。


作中、このしゅろの夢は叶います。
葉は裂け、ぐにゃりと枝を曲げてもなお高く育ち、
「こんなにつらい思いをしてまで叶える価値のある夢なのか」と逡巡し、
あらゆる痛みと苦悩を乗り越えて。
最後に天井を突き破り、一身に自然を感じることができました。


しかし、話はここで終わりません。
問題は、しゅろの原産地が温暖なブラジルであったのに対し、物語の舞台は秋も深まった北国であったこと。

温暖な気候で育ち、文字通り温室育ちだったしゅろが、そんな場所に出てしまったらどうなるか。


……読者の気持ちの寒暖差も、とても激しい話です。


ではまた!


それは、ロシアの大きな町であったことだ。
その晩は、クリスマスの前夜で、とりわけ、寒さのきびしい晩だった。
-ドストエフスキー『キリストのヨルカに召された少年』




どうも!


ドストエフスキーと言えば、『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』で有名ですね。

実を言うと、僕は今回紹介する『キリストのヨルカに召された少年』がドストエフスキー小説の初挑戦となります。

結構前に『カラマーゾフの兄弟』の「漫画版」なら読んだことがあって、かなり面白かった記憶がありますので、じゃあ別作品を読んでみよう、となったのです。

なのに、これはかなりの短編(文庫で10ページくらいかな?)で、そっこー読み終わっちゃいました。


『キリストのヨルカに召された少年』あらすじ
クリスマスの前夜、ロシアの大きな町の地下室に一人の少年がいた。少年はおなかをすかせ、寒さに震えていた。
少年は傍らの、すでに死んでいる母親に、死んでるとは知らずに何度も声をかける。
少年は寒さに耐えかねて、地下室から抜け出し、往来へ飛び出した。


あらすじだけで胸の痛くなる話ですが、結論から申し上げますと、この少年は死にます。
誰からも救いの手を差し伸べられることもなく。

少年は、単純な感情をもって、と自分に降りかかるあらゆる出来事を受け止めます。
拒絶されれば泣きたくなり、面白い人形を見ればおかしくて笑うんです。

しかし少年の、少年故の単純さ、無邪気さが、余計にこの物語の冷たさを強調しているような気がして、読んでいてなんだかとても胸が痛いわけで。

最後、タイトルの通り、少年は神に召されます。
そこで母親とも再開し、同じように不遇の中死んだ少年少女たちに迎えられるので、ほんの少し救われて終わり。召された先では、みんな幸せにしています。


『鼻』、『はつ恋』、『外套』を読んだ時も思いましたが、なぜこう、ロシア文学はこんなに読後感が冷たいストーリーが名作として残っているのでしょうか。その方が心に訴えかけるから?

と、思いましたが、文学作品って、なんだかこんなテイストで終わる方が多いですかね。国に限らず。


もし、本作を読みたいという方がいれば、これだけの為に一冊買うことはないので、(というより、収録されてる本を探すのが大変)、無料で著作権切れの書籍が読める「青空文庫」で読むのがおすすめです。ネットで、「キリストのヨルカに召された少年 青空文庫」と検索してみてください。

ただ、「青空文庫」はボランティアの方による運営で成り立っており、全ての著作権切れの本が収録されているわけではありません。

もし無くて、どうしても読みたいとなったら、Amazonが管理している電子書籍サービス「kindle」でダウンロードしてください。Amazonアカウントとスマートフォン(もしくはパソコン)があれば無料でダウンロードできます。


ではまた!


いよいよ貴様の、この、襟首をおさえたぞ!
-ゴーゴリ『外套』



どうも!

タイトルの『外套』は、見慣れない漢字ですが、「がいとう」と読みます。
わからなかったので調べました。

外出時に着るロングコートやマントを指すようです。

作者のゴーゴリは寒さの厳しいロシア出身ですから、寒さを和らげる為の外套は僕たち以上に日常に近かったのかもしれない。なんて考えてみたり。

こちら、あらすじです。

『外套』あらすじ
ペテルブルクに住む主人公アカーキイ・アカーキエウィッチは下級役人であった。
彼は使い古された外套が、ついに修繕が不可能なことを知らされた。新調するには80ルーブリかかるが、それは大変な出費だった。
80ルーブリになんとか当てがつき、外套の代金が溜まった。
新品の外套が手に入り、アカーキイは幸せな気持ちだった。およそ楽しみといったものはなく、仕事を機械的にこなすだけの日々だけだった彼にとって、それは画期的な大事件だった。
それは同僚にも同じことで、新調した外套を着ていった日は、その話で役所中で持ちきりとなり、彼の外套のために祝杯をあげる騒ぎとなった。 ところがその帰り道で、大切な外套を追剥に奪われる。アカーキイは外套を取り戻そうと、警察署長や有力者に尽力してもらえるように頼む。どちらにも相手にしてもらえず、おまけに叱責されてしまう。
これらのことが重なり、彼は熱に倒れて、そのまま死んでしまう。
話はここで終わらなかった。
アカーキイが亡くなった直後から、妙な噂が街に流れ始めた。
夜な夜な官吏の格好をした幽霊が盗まれた外套を探して、道行く人から外套を追い剥ぐというものだった。
(Wikipedia)

感情のやり場がない話です。

一人の地味な男がやっと手にした、とても小さな喜びを奪われて死んでしまう。

作中でも、主人公のアカーキイ・アカーキエウィッチがいかに冴えないかを事あるごとに何ページもかけて説明します。そこまでしなくても、って思わなくもないですが、その説明のどっかにシンパシーを感じてしまうんですよね。

ロシア文学だと同じゴーゴリ作の『鼻』、そしてツルゲーネフの『はつ恋』を読みましたが、どれもどこか寂しくて切ないんです。

寒い地方でこんなに切ない話を読んで、ロシア人は気が滅入らなかったのかと余計なことも考えてみたり。

ではまた!


彼はそのような奇怪千万な出来事をどう考えてよいのか、まるで見当がつかなかった。
-ゴーゴリ『鼻』



どうも!

なんとなく買った本に同時収録されていた、『鼻』を読んでみました。

僕は全くの初見、予備知識なしの状態で読んでみたのですが、読後最初の感想は「なにこれ????」でした。


あらすじを説明するにしても、

理髪師の朝食のパンの中に、人の鼻が入り込んでいた。
それは常連客のコワリョーフのものだった。
一方コワリョーフは、ある朝起きたら鼻が無くなっているのに気づいた。
コワーリョフは、自分の鼻が高い社会的地位を得て、良い服に身を包み、馬車に乗って去っていく姿を見た。
気が狂いそうになりながら、鼻を追跡しようと奔走する。
鼻を手に入れ、医者に行くが、治療を拒否されてしまう。
ある朝起きたら、鼻は元通りに自分の顔にくっついていた。

これです。

うーん…やっぱりよくわからない。

特に、鼻が実在の人間の世に振舞って街を闊歩する姿は、いったい何なんでしょう??

読後感を味わいたかったのですが、話の本質が理解できず、味わえない。初めての体験です。

そんなわけなので、この『鼻』はふとした時に思い出しては、どんなものなのか考えてみたりしてます。

いつか理解したいもんですね。

ではまた!

溌剌として美しい彼女という人間のなかには、狡さと暢気さ、技巧と素朴、おとなしさとやんちゃさ、といったようなものが、一種特別な魅力ある混じり合いをしていた。
-ツルゲーネフ『はつ恋』




どうも!

恋とか愛って、語るの難しくないですか?

恋愛感情って、言葉にすればするほど的を外れていく気がするんです。

本書は文章を「書いて」いるはずなのに、恋について「描いて」いるんです。本
書から香る雰囲気と丁寧で美しく詩的な文章は、読者の心にゆっくりと浸みこみます。
『はつ恋』あらすじ
1833年夏。16歳の少年ウラジーミルは、モスクワ市内、ネスクヌーイ湖のほとりの別荘で両親とともに住んでいた。 ある日の事、隣に引っ越してきた年上の美しい女性、ジナイーダに主人公は淡い恋心を抱く。だが、ジナイーダはいわばコケットで、彼女に惚れる何人もの「崇拝者」達を自身の家に集めては、いいようにあしらって楽しむような女性だった。
(Wikipedia)

本作は、老いた主人公が青春時代を振り返るという形式で書かれます。

コケティッシュ(女性の仕草や様子に、男の気を引くような媚態が混じっているさま。)な相手に振り回される主人公の切実な思いは、どこかに甘さや不完全さ、未熟さを含んでいて、老いてからそんな自分を振り返ることの怖さや後ろめたさも感じさせます。

恋について語るのが野暮なように、この本については語ってしまえばそれまでです。

僕が言えるのは、「ぜひ読んでください。」それだけ!

ではまた!

このページのトップヘ