アーツ×アーツ

本好きでマンガ好きのジョン・スミスが書く、名著礼賛ブログです。

カテゴリ: 日本


宇宙にゃこんなやつばっかりか
-冨樫義博『レベルE』





どうも!


今回書く『レベルE』は、漫画界でカリスマ的人気を博し、『ハンター×ハンター』や『幽☆遊☆白書』で知られている冨樫義博氏の作品です。

人間とはちょっと違う宇宙人が、地球に降り立ちトラブルを引き起こす。
これだけじゃなんだか楽しそうな雰囲気がありますが、そんなことはありません。

冨樫義博氏の作品特有の、「ダーク」で「オカルト」で「不条理」で「カルト」で「子供っぽ」くて「ゲームっぽい」作風が最高濃度で凝縮されております。

手元にあると、何度でも読んじゃいますね。


文庫版で上・下の二冊だけですが、密度がとても高いので、おそらく読書慣れしている方でも読了には2、3時間ほど必要です。僕、それくらいかかりました。

オムニバス形式で全八編の構成となってますので、登場人物がその都度変わります。
そういう意味では短編集と言えなくもないですが、特定の登場人物と世界設定は共通なので、連作短編作品集といった認識が良さげかもしれません。


全編あらすじを載せると実際に読んだとき興が削がれること甚だしいと思いますので、一部をWikipediaより引用します。


『レベルE』あらすじ(第一編・二編)
1.バカ王子・地球襲来編
 高校進学に伴って山形で一人暮らしを始めることになった筒井雪隆は、引っ越したその日に自分より先に自分の部屋で勝手に生活している自称宇宙人の男に出会う。追い出そうとする雪隆だが、男に言いくるめられ、結局彼を同居させた上、宇宙人であることも認めざるを得なくなってしまう。落ち着く間もなく雪隆の周りに男をめぐって、人間の宇宙人研究機関員、宇宙からやって来た男を王子と呼ぶ護衛達、さらには山形周辺を縄張りとする好戦的な宇宙戦闘民族ディスクン星人まで動き出し、風雲急を告げ始める。しかし雪隆達の不安をよそに、当の本人は全く緊迫感無く悠々とショッピングを楽しんでいた。

2.食人鬼編
 林間学校の途中、同級生が同じ学校の何者かに喰われるところを偶然目撃してしまった悪ガキ4人組は、次は自分達の番ではないかと怯え、自己防衛のために犯人探しを始めた。しかしその矢先、4人の内の一人が姿を消す。いよいよ切羽詰った彼らは、知り合いの怪しい人物に助けを求め、とあるつぶれかけの精神クリニックを紹介される。

この第一編で登場する「自称宇宙人の男」は、宇宙一の頭脳を持つ某惑星の第一王子です。
しかしその天才的な頭脳を他者への嫌がらせにしか使わず、人格は頭脳に反比例して壊れてます。人望は皆無。そしてかなりの日本びいきなので、宇宙人なのに日本語がペラペラ。彼が狂言回しとなって、物語は進みます。


『レベルE』は、登場人物全員が「自我」を持って「自分の人生」を全力で生きているのが最高です。

いわゆる漫画的な「おきまり」や「都合のいい展開」などは皆無で、各登場人物が、各自の意思に従った行動を起こす結果、物語が構築されて行くんです。

その自我に忠実なのが奇人変人宇宙人たちだから、それだけでワクワクして、楽しくて、怖くて、悲しいです。


なんか、説明しようとすればするほど、なんで『レベルE』が最高なのか、書ききれてない感じがします。

このコミックの面白さを伝えきれない自分の未熟な文章表現力が憎い!


ではまた!

「宗教教育がない!それではあなたがたはどのようにして道徳教育を授けるのですか」
私は愕然とし、すぐに答えることができなかった。
-新渡戸稲造『武士道』



どうも!

日本人のモラルはどのように保たれているのか。
それは武士道によってであると新渡戸稲造は考えました。

僕、『武士道』を読んで、その理想像に心が打たれまくってしまいました。
ここでは紹介しきれないくらいに感銘を受けた記述が沢山あって、それ以上に思索を巡らせたことが沢山あります。

一時期、この本を肌身離さず持ち歩いていたことがあって、そのせいで文庫の本が今はボロッちくなってしまいました。
『武士道』概要
『武士道』においては、外国人の妻にもわかるように文化における花の違いに触れたり19世紀末の哲学や科学的思考を用いたりしながら、日本人は日本社会という枠の中でどのように生きたのかを説明している。
島国の自然がどのようなもので日本独特の四季の移り変わりなどから影響を及ぼされた結果、日本人の精神的な土壌が武士の生活態度や信条というモデルケースから醸成された過程を分かりやすい構成と言葉で読者に伝えている。
例えば、武士や多くの日本人は、自慢や傲慢を嫌い忠義を信条としたことに触れ、家族や身内のことでさえも愚妻や愚弟と呼ぶが、これらは自分自身と同一の存在として相手に対する謙譲の心の現れであって、この機微は外国人には理解できないものであろう、といったことを述べている。
しかしこれは新渡戸独特の考えであり、彼の思想を批判する書も出されている。
(Wikipedia)

僕は本書で述べられる「知行合一」に対する武士の真摯な姿勢に、心打たれました。知行合一を平たく言うと、思想と行いは同じくしなければならないという事です。元々は陽明学の思想ですね。

「読書で知識を貯めるだけで、実践しない人間は軽蔑された。」なんて、本書の一部をかいつまんだ一文ですが、耳が痛いですね。ザクリと刺さりました。

義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義。七つに分けて武士の在り方を論じますが、どの章も目から鱗が落ちて大いに感銘を受けます。
僕はこの本に、数ページごとに大切な一文が書いてあることを示す折り目を入れております。全部で80箇所くらいですかね。こんなにチェックを付ける本は、武士道と他数冊くらいかなぁ。

カッコいい人って、きっと、武士道が示す生き方を実践している人なんです。
そして僕は、そんな男にある種の信仰を持ってるんです。

ではまた!



ああ寒いほど独りぼっちだ!
-井伏鱒二『山椒魚』






井伏鱒二といえば、『山椒魚(サンショウウオ)』だろう。ということで、読んでみました!

好きな漫画に名前が出てきたものですから、それ以来少し記憶のスミに残っていたのです。

長いこと「題名だけは知っている小説」だったので、今回読んでみてスッキリです。
「短編なんだ」「サンショウウオが擬人化されてるんだ」なんて、ご存知の方にしてみれば今更なことにいちいち唸りながら読んじまいました。

山椒魚(あらすじ)
谷川の岩屋をねぐらにしていた山椒魚は、あるとき自分が岩屋の外に出られなくなっていることに気がつく。二年の間岩屋で過ごしているうちに体が大きくなり、頭が出入り口に「コロップの栓」のようにつかえるようになってしまったのである。ろくに動き回ることもできない狭い岩屋のなかで山椒魚は虚勢を張るが、外に出て行くための方途は何もない。彼は出入り口から外の谷川を眺め、目高の群れが先頭の動きにあわせてよろめいているのを見て嘲笑し、渦に巻き込まれて沈んでいく白い花弁をみて「目がくらみそうだ」とつぶやく。
(Wikipedia)

引用したWikipediaにはもっと詳しく長いあらすじが書かれているのですが、とりあえずこんなもんで。

要するに、主人公(「人」ではないけれど)のサンショウウオが、成長しすぎたせいで狭い住処から出られなくなってしまい、どうしようもないと悟ってから、だんだんとひねくれた性格になっていく。って話です。

この話、なんだか「あるあるネタ」みたいな感じです。

自分の力ではどうしようもない圧倒的な現実の前で、虚勢を張り、悪態をつき、周りに不幸を振りまいたりして、それでも何も変わらない。

サンショウウオは紛れもなく不幸なんですけど、だからといってそれから状況が好転するわけでもなく、それ以上悪くなるわけでもなく、ただ「時間だけが流れている」って感じの雰囲気がたまらなく好きなんです。

こういう、雰囲気を読むような話が、自分は好きになる傾向があるかな?なんて、読んで思いました。

ではまた!


彼はどうかすると、全然何の理由もないのに、その時の彼を思い出すことがある。
-芥川龍之介『トロッコ』




どうも!

少年の頃、たった一度だけの冒険が、年を重ねることでかけがえのない思い出になることがあります。

両親の手を少しだけ離れ、ちょっと遠出の大冒険。
そんな少年少女の時を、皆さんは覚えていますか?

『トロッコ』は、そんな子供の頃を思い出させてくれる、ノスタルジックな短編作品です。
『トロッコ』あらすじ
小田原・熱海間に、軽便鉄道敷設の工事が始まった。8歳の良平が、その工事現場で使う土砂運搬用のトロッコに非常に興味をもっていた。ある日、トロッコを運搬している土工と一緒に、トロッコを押すことになった。良平は最初は有頂天だが、だんだん帰りが不安になった。途中で土工に、遅くなったから帰るようにいわれて、良平は一人暗い坂道を「命さえ助かれば」と思いながら駆け抜けた。
(Wikipedia)

物語の内容としては、洋画の名作『スタンド・バイ・ミー』に近い雰囲気です。子供が大人の世界を垣間見て感じる興奮や不安に、どこかへ行って帰れないのではないかという恐怖が混ざります。

誰もが経験した、新しい世界へ踏み込む際の独特な心持ちを、もう一度思い出させてくれる名文です。

ちなみに僕のはじめての冒険は、小学校に入る前、5歳の頃です。
主人公の良平とは違い、父を誘って、だったんですけど。

家の近くの丘を長い時間かけて登り、一面の花畑を目にしました。

今はもうその場所は、ツタと雑草だらけのジャングルみたいになってます。

不思議なもので、その頃の匂いも、辛さも、音も、景色も、何年も昔の事なのに、未だに思い出せるんですよねぇ。


ではまた!


何故貴方は、もっと素直に愛することが出来ないの
―石原慎太郎『太陽の季節』






どうも!

芥川賞を取った『太陽の季節』を、今更ながら読みました。

僕、この本好きです。


大人でも子供でもない、10代後半の時期って、やり場のない孤独感を内に秘めてませんでしたか?

何かが大きく間違っているのだけれど、それがいったい何なのか、どこから来ているのか、どうすれば正しいのか、わからないままただ快楽に溺れる。
『太陽の季節』あらすじ
 高校生・津川竜哉はバスケット部からボクシング部に転部し、ボクシングに熱中しながら部の仲間とタバコ・酒・バクチ・女遊び・喧嘩の自堕落な生活をしている。街でナンパした少女の英子と肉体関係を結び、英子は次第に竜哉に惹かれていく。だが竜哉は英子に付き纏われるのに嫌気がさし、英子に関心を示した兄・道久に彼女を5千円で売りつける。
(Wikipedia)

主人公の竜哉は今まで、出会った女性に対して特別な感情を抱くことがなかったのですが、自分には図れない人間性を備えた英子と出会い、少しばかり愛情や嫉妬といった人間味のある感情が自分の中に生まれることを自覚します。

しかし皮肉なことに、英子が竜哉に惹かれることで、竜哉は英子に興味を失います。

英子の愛情を試す竜哉の言動や行動からは、大切なものを慈しめない悲しさが漂います。
竜哉の行いは絶対的に間違っています。しかし、竜哉を絶対的な悪だと断定することはなんだかできません。
少なからず、共鳴してしまうんです。

竜哉には、悪友もいましたが、あくまで利害が先に来る関係性でした。
心から分かり合える相手は、竜哉にはいなかったのかもしれません。

愛が分からない。愛の築き方もわからない。
物質的に豊かなはずなのに、どうしても満たされない。満たし方もわからない。

10代後半の、生々しい感性を描いた名文です。


ではまた!

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