アーツ×アーツ

本好きでマンガ好きのジョン・スミスが書く、名著礼賛ブログです。


お前らにとってユダヤ人は人間ではないのか!
-シェイクスピア『ヴェニスの商人』




どうも!

シェイクスピアは悲劇で有名ですが、『ヴェニスの商人』は「喜劇」と言われています。

話そのものは、太宰治の『走れメロス』に似ており、友情によって悪を挫き、幸福を手に入れる、というコテコテの勧善懲悪な物語。

しかし、現代人である私たちの視点から読むと、この話、敵役のシャイロックに対する仕打ちがあまりにもひど過ぎる。

というか、シャイロックより主人公サイドの奴らの方が性質悪いような気さえします。

 『ヴェニスの商人』
 舞台はイタリアのヴェニス(ヴェネツィア)。バサーニオは富豪の娘の女相続人ポーシャと結婚するために先立つものが欲しい。そこで、友人のアントーニオから金を借りようとするが、アントーニオの財産は航海中の商船にあり、金を貸すことができない。アントーニオは悪名高いユダヤ人の金貸しシャイロックに金を借りに行く。アントーニオは金を借りるために、指定された日付までにシャイロックに借りた金を返すことが出来なければ、シャイロックに彼の肉1ポンドを与えなければいけないという条件に合意する。
 (Wikipedia)

シャイロックは「ユダヤ人」で「金貸し」という理由で、ヴェニスの町の人々から蔑視されていました。

主人公のアントーニオやバサーニオもシャイロックに対して人間扱いしないような態度だったにも関わらず、自分たちが困った、金がない、となったらシャイロックに助けを求めます。

シャイロックはここぞとばかりに「契約不履行となった時、アントーニオの肉一ポンドを切り取る(=命を奪う)。」と、契約内容に盛り込みます。自分が今まで軽蔑された分の意趣返しのつもりで。そしてアントーニオの商船にトラブルが発生し、返済できないとなったらシャイロックは契約書にある通り、肉を切り取る権利を得て、それを実行しようとします。今までの恨みを込めて。

しかし最後には、主人公サイドの人間が扮した法学者が「肉一ポンド“のみ”をアントーニオの身体から切り取ること。それ以外の物(血液)を奪った場合、その行為を殺人とみなし、死罪とする。」と主張し、事実上、取り立ては不可能とされます。

しかも、肉一ポンドを切り取ろうとした行為が殺人未遂とみなされ、彼は裁きを受けます。シャイロックは失意のどん底に。

命を拾ったアントーニオと友人たちは、幸せになるという大団円。

主人公に感情移入すればハッピーエンドですが、敵役のシャイロックに入れ込めばバッドエンドです。

作中、宗教や考え方、行動理念が否定されるシャイロックがあまりにも不憫で、僕にとっては釈然としないラストとなりました。
 
これが「喜劇」と言われてるという事は、当時の人々にとって、「非キリスト教徒」と「金貸し」は、マイノリティで軽蔑される人々の象徴とされていたという事なのでしょうか?


ではまた!

万歳!マクベス殿…王となられるお人よ!
―シェイクスピア『マクベス』




どうも!

前回『ヴェニスの商人』を紹介したとき、一見喜劇であっても立場が変われば悲劇にも見えるという、シェイクスピアの表現能力に度肝を抜かれたわけですが、今回はがっつり悲劇の、登場人物の誰も幸せにならない『マクベス』についてご紹介しようと思います。

『マクベス』
1606年頃に成立したウィリアム・シェイクスピアによって書かれた戯曲である。勇猛果敢だが小心な一面もある将軍マクベスが妻と謀って主君を暗殺し王位に就くが、内面・外面の重圧に耐えきれず錯乱して暴政を行い、貴族や王子らの復讐に倒れる。実在のスコットランド王マクベス(在位1040年–1057年)をモデルにしている。
(Wikipedia)

魔女の予言と妻にそそのかされ、君主を暗殺。そして望み通り王位を得たマクベス。

しかし、その心は決して穏やかなものではありませんでした。君主殺しの罪悪感に苛まれ、開き直ることも受け止めることもできずに苦しみます。以来、穏やかな眠りにつくことも叶わず、幻覚、疑心暗鬼が心を支配し、多くの人間を殺し、最後は自身が手にかけた君主の息子に殺されます。

マクベスに君主の暗殺をそそのかしたマクベス夫人も、自身が犯した罪に耐えられず精神を病み、最後は病で命を落としました。

地位も名誉も得たはずなのに、幸福は得られなかったマクベス。
そして暴政でその不幸を周囲に伝播させてしまう彼は、本当に欲しかったものを得られたのか。

必ずしも野心を実らせることが自分を満たすわけではないという事でしょうか。
自分の器に見合わないものを得ても空疎な自分に気付かされるだけです。
せめてマクベスが絶対的に自分の意思で暗殺を行えたなら、すべてのカルマを自分のものにする覚悟があったなら、もっと開き直った悪党になり、結果として自分の芯を強く保てたかもしれません。

多くの示唆に富んだ真に迫る内容です。
400年以上経てもなお愛される作品とはこういうものかと、改めて感動です。

ではまた!


すみません、ヒツジの絵を描いて
―サン・テグジュペリ『星の王子さま』




どうも!

一冊の本が人生を変えることがある。
使い古された言葉の一つではありますが、私にとって『星の王子さま』はまさしく私の心に大きな衝撃を与えた一冊です

作者はサンテグジュペリ。彼は作家であり、飛行士でした。
物語は彼の独白で進んでいきます。
ある日、サハラ砂漠に飛行機の故障で不時着し、たった一人で飛行機を修理していたサンテグジュペリの元に、一人の男の子が現れ、こう言います。

「すみません、ヒツジの絵を描いて」

彼こそ、表題にある星の王子さまです。

『星の王子さま』あらすじ
操縦士の「ぼく」は、サハラ砂漠に不時着する。1週間分の水しかなく、周囲1000マイル以内に誰もいないであろう孤独で不安な夜を過ごした「ぼく」は、翌日、1人の少年と出会う。話すうちに、少年がある小惑星からやってきた王子であることを「ぼく」は知る。
(Wikipedia)

『星の王子さま』に、ストーリーは無いようなものです。あるのはメッセージです。

描かれるのは、子どもの目から見た大人の世界の可笑しさ、不可解さ、理不尽。

「子供」の王子さまと、「かつて子供だった」サンテグジュペリ。

王子さまのような瑞々しい感性を失わずに持ち続けたいという思いと、大人にならなければいけないという切迫に板挟みになっていた十代半ばのかつての私は、この物語に大きな救いを感じました。

そして、星の王子さまが今でも多くの人に愛されている理由は、そう思っている人が私だけではないからであり、まるで自分の為に書かれたと読者に思わせてしまう物語が、長く読まれ続け、名作と呼ばれるようになるのでしょう。

『星の王子さま』については、私の貧しい言語能力では語れば語るほどに作品の真意から遠ざかってしまうように思うのです。読んでしまえば、語る必要のない程に感性を刺激してくれる本書の素晴らしさを、ぜひとも手に取って感じていただきたく思います。

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