アーツ×アーツ

本好きでマンガ好きのジョン・スミスが書く、名著礼賛ブログです。


何かをせねばならない、体は日に日に重くなっていた。
-穴(小山田浩子)





読了目安:2時間



どうも!


芥川賞を受賞した『穴』を今更ながら読了しました。


よくわからない、掴めそうで掴めない、これって一体何なんだろうっていうのが本音です。


『穴』内容紹介
仕事を辞め、夫の田舎に移り住んだ夏。見たことのない黒い獣の後を追ううちに、私は得体の知れない穴に落ちる。夫の家族や隣人たちも、何かがおかしい。平凡な日常の中にときおり顔を覗かせる異界。
(引用:Amazon

あまりにもわからなさ過ぎて、ネットの筆者インタビュー記事を読んで内容を補完しました。
一部引用しますと、


自分の小説を書く方法というのが、断片的なシーンをたくさん書き溜めて、それを最後に順番を入れ替えたり、削ったりしてまとめるというものなんですけど、まずは物語の順番とは関係なく、思いつくままに色々なシーンを書いていくんです。
(引用:『bestseller's interview 第56回 小山田 浩子さん』

登場人物を見てみても、みんな悪気のない普通の人なんですけど、それぞれどこか気持ちが悪かったりします。
(引用:同上)

私も24歳の時に結婚したのですが、ヨメにとって夫の実家はこれまで全く関係のなかった『イエ』。もともとはよそ者であるそのヨメが、そこで子供を産み、時間が経つに連れていつの間にか一家の大黒柱になっている。それが本当に不思議で……
(引用:PRESIDENT ONLINE 著者インタビュー




執筆が「断片的で思いつくままに書かれたシーンをくっつき合わせる」スタイルを取っていると知って、なるほど、だからどこか掴みどころがなかったのかと勝手に納得しました。

印象的だったのは、主人公の「私」が派遣社員として働いている職場のトイレで同じく派遣社員の同僚と話すシーンでした。主観が主張が強く、自身の立場の弱さや愚痴をまくし立てる同僚に対して、「私」はどこか自我が薄く、俯瞰的です。嫌なことや不満もあるけど、世の中こんなもんだよね。もっとつらい境遇の人もいるだろうし。といった様子。ここで主人公の内面というか、思考の癖、マイナス感情に対して達観して相対化することでバランスを取ろうとする姿勢が見受けられます。自分自身の事なのに、主観ではなく、客観で評価してしまう癖。

そんな主人公が田舎に行き、田舎独特のちょっと閉鎖的というか、人間関係がべたついている場所に移るわけですけど、普通に付き合う分には普通に良い人な人たちの、自分とはソリの合わない部分が見え隠れしてしまう感じが生々しくて気持ち悪いです。

近所の子供も、お隣の奥さんも、義理の両親も、連れ添っていた夫にも、田舎に移ってからはなんか違和感がある。原因はわからないのだけれども。

なんてことない事が積み重なって、それを総合して考えると相手の性根の悪さが推測できてしまうなんて、日常でもよくあるじゃないですか。一定の距離感を保った相手と距離を縮めたら、隠されていた見えなかった部分が見えてしまうとか。そんな嫌な感じが全体的に漂ってます。



そして「私」は、いるなんて聞かされていなかった、「自称」義理の兄に出会います。
離れの小屋にずーっと引きこもっていて、突然存在を知った義理の兄。
その人が言うには、「自分は家族の汚点だから、いないことにされている。」
しかし「私」は、ここでも自我の薄さを発揮して、兄の存在について、夫にも、隣に住む義母にも問いただしません。

何か私に言うことがあるなら私の方から言わなくても言ってくるはず、と、考えて。


登場人物全員がどこか生々しくて気持ち悪いんですけど、「私」のこの主体性の無さが、一番引っかかりました。


「私」は無難な人間で、存在を重要視されることもない代わりに、極端に嫌われる描写もありません。でも、どちらかと言えば軽んじられて、本人もそれをうっすら自覚しているらしいようでした。誰からも興味を持たれない、居ても居なくてもさほど変わらない人間。


僕はこんなに感情が薄くて主体性が無く、つまらない人間の「私」が正直嫌いなのですが、そんな主人公の姿に時折自分の一部を観ている気分になり、主人公への反発心は自己嫌悪を内包してるんじゃないかなんて思ったりするわけです。


どんどん周りに染められて、周囲の色に同化していく「私」の姿は、きっとそんなちょっと嫌な共感を呼び起こします。


ではまた!



抱えているだけで厄介極まりない、自身の並外れた劣等感より生じ来たるところの、あさましい妬みやそねみに絶えず自我を侵食されながら、この先の道行きを終点まで走ってゆくことを思えば、この世がひどく味気なくって息苦しい、一個の苦役の従事にも等しく感じられてならなかった。
-苦役列車(西村賢太)




読了目安:2時間



どうも!


今回紹介する作品は、2010年下半期に芥川賞を受賞した『苦役列車』です。
受賞会見で西村氏が発した言葉「そろそろ風俗にでも行こうかと思っていた」も大きく話題となりました。

私小説であり、作品の内容や主人公の姿はほとんどが筆者の経験に基づくものです。
孤独なモラトリアムを経た経験がある読者なら、この作品に対して強烈なシンパシーを感じて仕方なく、主人公の貫多に過去の自分を重ね合わせて背筋が寒くなると同時に、愛しさを感じるかもしれません。


『苦役列車』あらすじ
時代は昭和後期(主人公の生年からの計算や劇中のカレンダーから1986年と思われる)。19歳の北町貫多は、日雇い労働で生計を立てている。貫多が幼少の折、彼の父親が性犯罪を犯したことで家庭は崩壊した。両親の離婚、数度の転校を繰り返すなかで鬱々とした青春時代を過ごす彼は将来への希望を失った。やがて中学校を卒業した彼は、母親からむしり取った金を手に家を飛び出し、港湾での荷役労働に従事することで一人暮らしを始める。日当の5500円は即座に酒代とソープランド代に消えていく。将来のために貯金するでもなく、月の家賃のため金を取り置くわけでもなく、部屋の追い立てを食らうことも一度や二度ではない。こうして貫多は、義務教育後の4年間を無為に過ごしていたのだった。
(Wikipedia)

中卒で、プライドが高く、友もなく、日雇い労働で糊口をしのぐ貫多は、酒と女を買うために月々の家賃の積み立てにさえ手を付けるロクデナシです。誰の目から見ても負け組で、他人を妬み、足を引っ張ることに喜びを感じる人間です。人望を集めることもできず、友情や愛情の築き方、扱い方を知りません。


心の底にある劣等感、自身では軌道修正も不可能な程に崩れてしまった人生に対する嘆き、若さを消費するだけの日々、何が間違いなのか気付くことすらできない自分の低能、何をどうすればいいのかわからない虚脱感、など、あらゆるマイナスの感情を自分の傍らに置き続けてしまったがために、それが当たり前となってしまった貫多の姿に、強烈なシンパシーを抱かずにはいられません。
このように誰の目から見ても明らかにひどい人生となったら、もう自分で自分を愛するしか自分を救う方法はありません。最悪な自分に対する嫌悪感と、そんな自分に対する根拠のない(しかしとても大きい)肯定感が心の中に共存します。


主人公の人生が良いか悪いかなど些細な問題に思えるほどに、この作品が持つ雰囲気に惹かれます。


そしてこの作品の素晴らしい所は、そんな貫多が40代になり、変わらず、頼る友も親類もいない惨めな生活を送っている姿が描かれるところです。
40代の汚い男となった貫多が腰痛を患い、トイレへ行くことすらままならずペットボトルに放尿する姿には圧倒的な孤独と悲哀があります。見ていられません。

孤独な人間がきっかけ一つで変わって、楽しい人生を過ごせるようになるのが世間に受け入れられる物語だとすれば、苦役列車は全くの逆。

ろくでなしの主人公を誰も助けず、何も変わらず、悲惨なまま老いていく。そんな話です。


人を選ぶ作品であるのは間違いないと思うのですが、きれいごとや幸せばかりを描く作品よりも、どうしても共感してします。別にニヒリズムを標榜しているわけでもないのに。


ではまた!



彼女は一度も振り返らなかった。
-白夜行(東野圭吾)




読了目安:約9時間


どうも!


本日紹介するのは、累計発行部数200万部の大ベストセラー小説『白夜行』です。
東野圭吾の最高傑作として名高く、発売から二十年近く経った今でも、書店へ行けば必ず置いてある一冊です。


2006年のテレビドラマ化をきっかけに人気を獲得し、2011年には映画化も成されております。
絶世の美女が歩む悲劇の人生を、当代きっての美人女優が演じました。
こちらで記憶に残っている人も多いのではないでしょうか。

映画版はこちら!



ただ、この本、文庫でも850ページを超える大作です。
しかも、多くの伏線や登場人物の交わりが描かれますので、読書慣れしていない人にしてみれば読了がなかなか大変です。


ですので本が苦手な人には、映画版を薦めます。
僕も観ましたが、話の流れや内容の味わいは映画版でも充分同じでありました。
ドラマ版は構成の組み換えが行われ、主人公の内面世界が描かれた分、より話が理解しやすい作りとなっております。

『白夜行』あらすじ
1973年、大阪の廃墟ビルで一人の質屋が殺された。容疑者は次々に浮かぶが、結局、事件は迷宮入りする。被害者の息子・桐原亮司と、「容疑者」の娘・西本雪穂 - 暗い眼をした少年と、並外れて美しい少女は、その後、全く別々の道を歩んで行く。二人の周囲に見え隠れする、幾つもの恐るべき犯罪。だが、何も「証拠」はない。そして十九年…。息詰まる精緻な構成と、叙事詩的スケール。心を失った人間の悲劇を描く、傑作ミステリー長篇。
(引用:Amazon)


ただただ悲しい。
悲しくて悲しくて、仕方のない物語です。


この物語の根底にあるものを挙げるとすれば、「絶望」、「アダルトチルドレン」、「献身」、このあたりになるのではないかと言えます。しかし、こんな簡単な単語で片付けられるほど、単純な物語ではありません。


この作品では、「父親を殺された」亮司と、「容疑者の娘」の雪穂、
二人の幼少期からの十九年の人生が、第三者の視点から描かれるというのが特徴です。
主人公二人の心理や主観の描写はほとんどなく、読者は、登場人物たちの目を通して描かれる二人の姿や伏線から、亮司や雪穂が何を思い、何を行ったのか読み解きます。


交わらずに生きていたように見えた、亮司と雪穂の関係。
魂を踏み躙られ、壊された二人が、隠すように持っていた、互いに対する純愛と慈しみ。


物語の最後、読み解かれる亮司の父親が殺された事件の背景にあった、あまりにも残酷で、醜悪で、最悪な真実に、読後は冷えた鉛を飲み込んだかのような気分になります。


この作品をきっかけに、僕の高校時代の愛読書はもっぱら東野圭吾となりました。
映画化されたときの雪穂役が、これまた僕の大好きな女優・堀北真希さんだと知った時、まさに理想の雪穂だと思ったのも懐かしいです(堀北真希さんの温度感のない話し方や立ち振る舞いが好きで、まさに雪穂がはまり役だと思ったのです。もう引退なさってしまいましたが、十数年来変わらず今でも一番好きな女優さんです)。


機会があれば、東野圭吾氏の別作品も御紹介できればと思っております。
楽しい本、まだまだたくさんありますから!


ではまた!


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